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WEBINAR 1

アートが「観測」する量子と世界

量子という多くの人にとって未知の世界をアートを媒介して観測することができるか。

量子を通して見えてくる新しい世界とは。

今回のトークセッションでは情報学研究者のドミニク・チェン氏とアーティスト・アルスエレクトロニカ アンバサダーの久納鏡子氏に、お二人が影響を受けたアート&サイエンスの“名盤紹介”と、アートがサイエンスや量子の世界で今後どのような役割を果たすのかを語っていただいた。

ファシリテーターはサイエンスライターの森旭彦がつとめた。

12月10日(土)に開催したウィビナーを再構成し掲載しています。

ドミニク・チェンが選ぶアート&サイエンスの名盤
ドミニク:

私は今早稲田大学で研究者として、インターネットのコミュニケーションテクノロジーの研究開発や評価実験を行なっています。また、自分の表現者としての活動も行っています。

2019年のあいちトリエンナーレで制作したインスタレーション『LastWords / TypeTrace』では、「もしあなたが10分後にこの世からいなくなるとしたら、どんなメッセージを誰に宛てて書きますか?」というお題を投げかけて、2000人以上の方からテキストを集めました。ただ集まったテキストを表示するだけではなく、書かれたプロセスを記録して書き手がどんなふうにテキストを書いていったのかを映し出すインスタレーションです。

ドミニク:

結構重いテーマなので、皆さん逡巡しながら書くんですね。バーっと書いた直後に数十秒止まってしまったりとか。書くプロセスが可視化されることが、来場いただいた多くの人に不思議な感覚をもたらしていたようで、「まるで書いている人が自分に語りかけてくるようだ」という感想をいただいたりもしました。

 

他には「ぬか床の中に住んでる微生物と会話をするシステム」として『NukaBot』というロボットをつくっています。このプロジェクトで僕たちが注目しているのは人間が微生物に愛着を抱けるか、ということです。ロボットを介して微生物の存在や気配を感じ取れるかどうかを研究しています。

ドミニク:

このように、人間の他者に対する想像力や他者に思いを馳せるというような捉えどころがないことを、サイエンスを使って捉えていくのが自分のテーマなのかな、と思っています。

アート&サイエンスにはエモさがある
ドミニク:

ここから私の好きなアート&サイエンスの名盤をご紹介します。

 

まず1つ目はCharles and Ray Eamesの『Powers of Ten』。野外でランチを食べているとこからどんどん上昇して銀河系まで視点がいった後に、今度は降りてきて最終的に人間の細胞とか細胞の遺伝子まで入り込んでいく。個人的には後半の降りてくるパートが好きですね。僕たちが自分自身の体で認知できるスケールは限られていますが、サイエンスの観測技術を使うことによって極大から極小まで繋がって見えるところが、この作品がアート&サイエンスの作品たる所以かなと思っています。

ドミニク:

2つ目はDavid Rokebyの『Machine for Taking Time』。これはギャラリーの天井に設置しているカメラが360°回転して毎日記録した映像を使った作品なんですが、連続している映像の中で過去の映像がランダムに切り替わります。いきなり冬と夏が入れ替わるといったことが、一つの滑らかな映像の中でリアルタイムに生成されて見えるんです。「異時同図」といって、一つの図の中に複数の時間軸が書かれているという西洋絵画のジャンルがありますが、その映像版のように見えます。

ドミニク:

寺田寅彦という学者が『どんぐり』というエッセイで、妻が小石川植物園でどんぐりを拾って遊んでいる風景を書いているんですが、最後の方でその妻はもう亡くなっていると明かされます。そして今傍でどんぐりを拾って遊んでいるのは忘れ形見の子供なんですが、そこにはもういない妻の姿が風景に重ね合わせられるような感覚を受ける。それと似た感情を掻き立てられる作品です。

3つ目はAlexandra Daisy Ginsbergの『Resurrecting the Sublime』。20世紀初頭に絶滅してしまったある花の遺伝子をバイオテクノロジーを使って再生して、香りを復元するプロジェクトです。ただ、これは再現を目的にしているのではなく、失われてしまった生命種や花の存在を想像させて、現在の私達の生活や行動を考えさせるというもの。作者自身が「失われてしまった時間というものを完全に再現することはできないが、そこに身体的な想像力を働かせる手助けができる」ということを言っているんですが、実際にこの作品で花の香りを感じたことですごく感銘を受けました。

久納鏡子が選ぶアート&サイエンスの名盤
久納:

私は元々インタラクティブアートと言われるような、インタラクションのある体験型の作品を作っているアーティストです。

 

2017年からはオーストリアのArs Electronicaという文化機関で活動しています。Ars Electronicaはいわゆるメディアアートの分野を扱い、40年以上前からアートやテクノロジーが、私達の今あるいは未来の社会にどういう影響を与え何を可能にするのかをテーマにしています。世界的なフェスティバルやコンペを毎年開催し、Ars Electronica内にFuturelabという研究部門を持っています。

 

私自身2017年からオーストリアに4年間住み、Futurelabのリサーチャー兼アーティストとして活動してきました。昨年帰国し、現在はArs Electronicaのアンバサダーという形で様々な研究プロジェクトに関わっています。

 

Futurelabで制作したインスタレーションを一つ紹介します。Flower of Timeといって、現代人の時間感覚を調べるという趣旨のインスタレーションです。

抽出図1-Flower of Time by Ars Electronica Futurelab (c) vog.photo.jpg
久納:

壁に10個の時計の針を設置しました。この針の1周するスピードは、一番早いもので1秒、一番遅いもので1年に設定されています。鑑賞者は様々な速さの時計1周分の時間について考え、もしその時間があったら何をしたいかを花びら型のステッカーに書き、針の周りに花びらのように貼っていってもらいます。

 

1秒でしたいことの反応はかなり個性があるのですが、時間が長くなると似通った内容になってくるのが面白かったですね。このように、デジタルメディアが普及し加速している時間を過ごしてる私達が、今どんな感覚を持って生きているのかを、作品を通してリサーチするといったことなどを、研究していました。

概念をビジュアル化するアート&サイエンス
久納:

さて、それでは私の好きなアート&サイエンスの名盤を紹介していきます。

 

1つ目はVera Tolazzi, Mathias Gartnerの『The Transparency of Randomness』。オーストリアのヨハネスケプラー大学の学生たちの作品です。彼らは乱数をテーマに作品を作っています。この作品では空間にサイコロを転がしている箱が27個吊るされています。箱の中でサイコロが上から転がってきて何らかの目を出すわけですが、転がる斜面がいろんな自然の素材になっていて、自然がいかにランダムを作り上げていくのかということを実際にマテリアルと組み合わせて見せる作品です。

久納:

さらに、どういうふうに転がってサイコロの目の乱数が出てきたかを毎回蓄積して、ジェネレイティブなビジュアライゼーションに変えて見せています。

 私達はランダムや乱数を概念としてはわかっているけれどもビジュアルで見せられることによって、概念だけだったもののイメージが変わってくるっていうことが言えるかなと。

森:

乱数は普通にやると数字の羅列にしか見えないけれども、こうやってビジュアルで見せられることで初めてそれが観測できるものになる。僕たちがわかるような物理現象になって立ち現れるという面では、量子芸術祭のこれからのヒントになるような気がする作品ですね。

久納:

2つ目はScott Snibbeの『Boundary Functions』。空間の中に人が入ってくと、その人と人との間に境界線を作る作品です。手を繋いだり人と接触をすると境界がなくなり一つの空間となります。パーソナルスペースやソーシャルディスタンスを作っていくときに出てきてくるボロノイ図という境界パターンを表している作品です。数値や図形だけで見ていたことを体験できて、しかもその境界にどういう意味があるかを直感的に知ることができたのがすごく印象に残っています。

久納:

3つ目はKurt Hentschlagerの『SOL』。真っ暗な空間の中に一瞬だけLEDの光が閃光のように出ます。多分目ではよくわからない光が一瞬ついて消えて、網膜の中にシンプルな色と形のパターンが残像として残る。自分の身体機能の中でも意識していない部分を使って世界を見ていることを意識させられるような作品です。

ここまで、アート&サイエンスの分野で私達が物理的に見ることができなかったり、概念だけ知ってる世界が見えるということはどういうことかを理解する上で、私が面白いなと思った作品をご紹介しました。

アートを通して見える「新しい世界」とはどういうものなのか
森:

ここからはディスカッションに入っていきたいと思います。まず、どうすればアートによって新しい世界を見ることができるのかについてお話を伺いたいです。例えば私はジャーナリズムという立場でサイエンスと関わっているんですが、サイエンスとテクノロジーが社会に与える影響を議論するときに、アーティストの存在はかなり大きいと感じることがあります。

 

例えばアーティスト長谷川愛さんの作品『(IM)POSSIBLE BABY』は二人の女性の間に生まれる子供たちをCGで可視化した作品です。遺伝子的にどのような表現がされうるのかを詳細にリサーチして作られています。一見普通の家族写真にしか見えませんが、その中には非常に深い問題提起がされてるわけですよね。

 

こうしたことは、実際の社会で起こるとニュースになるようなことを、表現として社会に提示する。現代のサイエンスの先にある、起き得る社会議論を生み出せることがアートの凄みなんだと思います。

久納:

今のお話でいうと、やっぱりアーティストって社会のセンサーみたいなところがあると思うんです。先端的なサイエンスや技術はどうなっているのか、社会に対してどんな影響を与える可能性があるのかということを考える。そして、それに対しての可能性を作品を通して提案するのがアーティストの仕事かなと。

ドミニク:

長谷川愛さんの『Shared Baby』という作品では、親が2人という価値観ではなく3人や5人の親の遺伝子から子供を生み出すものがあります。これもいつか実現しうるものかもしれませんが、科学技術が一体どういう影響を長期的にもたらすのかは科学者自身もアーティストもわかっていません。その議論をテキストだけじゃなくて作品として体験してもらうことができるのがアートの力だと思いますね。

実際、長谷川愛さんのワークショップで三人の女性と私の三人で遺伝子上の子供を作るという体験をしたことがあります。3時間ぐらい話し合った様子が長谷川さんの映像作品にもなりましたが、とにかく濃密な体験で、既存の家族観が揺さぶられました。

久納:

彼女の過去の作品で『私はイルカを産みたい…』という作品があって。その作品では人間が人間以外の、例えば絶滅危惧種の動物を妊娠して産んで育てるという形で自分の体を使う可能性はあるのかというシミュレーションを研究者と一緒に行っています。これをサイエンスの研究だけでやると倫理などの問題が出てきて難しいトピックだと思うのですが、アートの形で見せることで、最初からダメではなく様々なディスカッションのきっかけを作ることができますよね。

量子コンピューターでの表現方法を研究者やアーティストが共に考えていく
森:

ここで視聴者から質問が来ているのでお聞きします。

「量子をアートにした作品がまだArs Electronicaにはないというところで、今回の量子技術祭で何かイメージが湧いたところはありますか」

久納:

全くないわけではなく、今年も量子コンピューターで作った映像作品が展示されていました。ただ技術を使うだけでなく、量子というよくわからない世界の可能性を、アートという方法でもっと見せてほしいというのは個人的にはあって、今後に期待しています。また、量子コンピュータでできることだけじゃなく、研究者が見ている世界や頭の中も知りたいですね。

ドミニク:

量子コンピューターを自由に触れて、身体感覚にまで落とし込めている人は、まだほとんどいないのではないでしょうか?

 

量子コンピュータは、研究者自身にとっても簡単にいじれるものではないと想像します。もしそこがフロンティアになっているとすれば、20世紀なかばのメディア・アートの黎明期のように、現在の使いづらいかもしれない量子コンピューターの現場にアーティストやインターフェースの研究者をどんどん入れていく流れになるといいですね。どのように表現に使えるか、その可能性を一緒に考えていくプロセスが必要かと思います。

 

コンピューターも発明から普及までだいぶ時間が経過し成熟期に入って、いろんな社会的な課題や問題と繋がってきています。SNSが社会的分断を助長してしまっているといった議論はこの10年ほどでだいぶ研究もされてきました。

 

だから人間の責任を度外視して量子コンピュータにあまり過度な期待をするのも違うと思いつつ、今の計算資源では解決できない社会的課題を解消し、よりよく僕たちが生きていけるようになったらいいなと思います。全然違うSNSを構築できるかもしれないし、全然違うコミュニケーションツールができるかもしれない。今の僕たちでは到達できない世界の見え方や認識の仕方に、量子コンピューターを通して近づいていきたいですね。

森:

ドミニクさんに質問です。研究に対してアート的なインスピレーションはどのように影響していますか。

ドミニク:

アートの場合は展覧会のテーマや社会背景、時代背景の中で、どういう風景を自分たちが見たいのか、どういう問いかけを投げかけたいのかをベースに作品を作ります。一方、研究の場合は何を明らかにしたいのかを明確にして戦略的に進めていくのでアートとプロセスは全然違うと思います。

ただ、冒頭で紹介した『Last Words / TypeTrace』 を作るにあたっては、作品を作りながら「これってこういうことなんだ」のような、テクノロジーの肌触りを事後的に発見していく体験をしました。「まるで今目の前でその書き手の人が自分に手紙を書いて自分に語りかけてきているような気がする」といろんな人に言っていただけたんですが、学術的にも共在感覚という人類学の概念だったり、社会的存在感という社会心理学の概念があったりということを後で知ったんです。それがわかり、研究を知ると、今度は作品の方にまたフィードバックされるという、往復みたいなことが起こったのはすごく面白かったですね。

森:

アートとして触れて見えるものにすることで、はじめて目の前に立ち上がってくるものから研究テーマを追い込んでいくというプロセスもあるということですね。ちょっと分野をずらしたりして新規性を見いだしていくのは、お話を聞いていて面白いと感じました。

新しいコラボレーションやパラダイムシフトのきっかけになれば
ドミニク:

お二人がこれから量子芸術祭に期待することはどんなことですか?

久納:

一般の人にはわかりにくい量子コンピュータのことをもっと可視化していただけるのがすごく楽しみです。Ars Electronicaを含む8つの文化機関で実施している『STUDIOTOPIA』というイニシアチブがあるのですが、アーティストのアトリエにサイエンティストが来て滞在し作品を一緒に作るっていうスタイルがすごく面白くて。普通逆で研究者のラボにアーティストが滞在するのは結構あると思うんですね。

 

研究者とアーティストの行ったり来たりのやり方も量子芸術祭をきっかけに広がっていくと、新しいコラボレーションと新しい量子の世界が見えてくるのではないかなと。

ドミニク:

量子コンピュータの世界を体感できるような表現が生まれていく一つの起点になったら本当にわくわくしますね。

 

あとは、近代的なボキャブラリーではうまく説明や言語化できなかったことに、新しい光を投射してくれるような発見や表現、言葉が生まれると良いですね。たとえば生きること、死ぬことや、自己と他者の境界など、宗教の世界で永らく議論されてきたことが、ようやく科学と一緒に語ることができるようになることに期待します。量子芸術祭がそういった本当の意味でのパラダイムシフトに繋がっていくと良いなと思います。

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ドミニク・チェン
情報学研究者

1981年生まれ。博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center[ICC]研究員、株式会社ディヴィデュアル

共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。テクノロジーと人間、そして自然存在の関係性を研究している。

主な著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)など。

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久納 鏡子
アーティスト・アルスエレクトロニカ アンバサダー

インタラクティブアート分野における作品を手がける一方、公共・商業空間での展示演出、展覧会キュレーション、大学や企業との研究プロジェクトなど幅広く活動。作品はポンピドゥセンター(フランス)、SIGGRAPH(アメリカ)、文化庁メディア芸術祭など国内外で発表。東京都写真美術館(日本)に所蔵。

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森 旭彦
サイエンスライター

サイエンスと人間性の相互作用や衝突に関する社会評論をWIRED日本版などに寄稿。ロンドン芸術大学大学院にてメディアスタディーズ(修士)を学ぶ。大学院在学中にBBCのジャーナリストらとともに行ったプロジェクト『COVID-19インフォデミックにおけるサイエンスジャーナリズム、その課題と進化』が、国内外のメディアで取り上げられる。

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