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量子芸術とは何か? どのような表現の可能性があり、また私たちにどのような影響を与えるのでしょうか。メディアアートの世界を牽引するZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディアセンター)内にある現代技術の新たな表現を学際的に探求する「Hertzlab」。同ラボ統括責任者のティナ・ロレンツとの対話を通じて、量子芸術の可能性を探求します。

(使用言語:英語)

量子芸術の夜明け
—新たな表現系と社会への影響の探求

ティナ・ロレンツ(ZKM 芸術的研究開発部門「Hertzlab」統括責任者)×青木竜太(芸術監督・社会彫刻家)

DATE | 2025.3.11 TUE. | 18:00-19:00 JST

量子とは、いったい何なのでしょうか。粒子であり、波でもあり、観測されるまでその状態が確定しない──量子力学の基本的な性質は、私たちの直感的な世界観とは大きく異なっています。けれども、だからこそこの「不可視のリアリティ」に惹きつけられるのかもしれません。そして今、アートという表現の領域において、量子の謎に挑む動きが静かに広がりつつあります。

量子芸術の3つの形

 

ティナ・ロレンツ氏は、量子芸術を大きく3つのカテゴリーに分類しています。1つは、量子コンピュータという道具を用いて制作されるアート。2つ目は、量子力学の基本原理──例えば重ね合わせや量子もつれといった概念──を視覚的あるいは聴覚的に表現しようとするアート。そして3つ目は、量子という考え方そのものをアート的な発想の源泉として捉えるアプローチです。

 こうした概念はまだ発展途上にありますが、すでに興味深い作品が世界各地で生まれ始めています。例えば、アーティストのレフィーク・アナドール ` が2020年に発表した《Quantum Memories》は、グーグルの量子研究チームと協働し、量子コンピュータの計算データをもとにAIを用いて生成された風景をインスタレーションとして提示しています。多世界解釈や非決定性といった量子論の世界観を、圧倒的な没入感とともに体験させる作品です。

また、量子理論を批評的・文化的な文脈で再解釈する動きとしては、「ブラック・クォンタム・フューチャリズム」の実践が注目されています。これは、アフリカ系アメリカ人の思想や文化的記憶、時間概念を、量子物理学の視点から再構築しようとする試みであり、音、言葉、映像といったメディアを通して非線形な時間のあり方や集合的未来像を提示しています。

 このように、量子芸術は先端技術の応用にとどまらず、哲学的・社会的な想像力を拡張する装置として、多様な領域で展開されつつあるのです。

 

量子の世界と出会う機会をつくる

 

ZKM自身も、2025年のユネスコの「国際量子科学技術年」に向けた取り組みとして、『Superposition Composition』というプロジェクトを進めています。これは、量子コンピュータから出力されるデータによって自動演奏ピアノの音が変化するというインスタレーションです。音楽が“確定しないまま演奏される”というアイデアは、量子力学の根幹にある「観測されるまでは状態が重ね合わさっている」という性質を、直感的に体験させるものとなっています。

 さらにZKMは昨年、ゲーテ・インスティトゥートのStudio Quantum ` と協働し、量子技術をテーマにしたアーティスト・イン・レジデンスを実施しました。物理学者による講義やアーティストとのワークショップも含まれており、複雑な量子の概念を一般市民や参加作家と共有するための教育的アプローチが取られました。

 ロレンツ氏はこれら試みについて、「複雑な量子の世界を理解するには、理論だけではなく、身体的・感覚的な体験が必要です」と語ります。数式や論文を読むのではなく、耳で聴き、身体で感じることによって、量子の世界を“わかる”のではなく“出会う”という体験が可能になるのです。

 ZKMは、単なる展示施設ではなく、「社会に開かれた研究機関」として、作品の保存や修復、教育プログラム、出版活動まで含めた包括的な活動を展開しています。Hertzlab ` においても、「ポスト・ヒューマンアース」や「循環的経済」、「ウェルビーイング」など6つのテーマが設定されており、量子芸術はその1つの展開形とされています。

量子コンピュータは人間の「道具」となり得るか

 

量子芸術は、単なる先端技術のアプリケーションではありません。それは同時に、科学と社会、未来と倫理をつなぎ直す試みでもあります。青木竜太氏は日本での量子とアートの歴史的関係性に触れながら、コンセプチュアル・アーティスト(概念芸術家)である松澤 宥 ` 「量子芸術宣言」` や、アーティストであり研究者でもある久保田晃弘氏 ` 「量子コンピュータアート序論」` などを紹介しました。いずれも、量子の物理的現象を模倣するのではなく、その背後にある哲学的な問いや認識論にこそ着目しており、量子をめぐる思考をアートに翻訳しようとする営みです。

 ロレンツ氏も、量子芸術の本質は「不確定性」や「多義性」をどう受け止めるかにあると語ります。彼女は、量子技術が社会に与える影響を一方向的に断定するのではなく、「開かれた問い」として提示することの重要性を強調していました。量子芸術は、その問いを生み出す場として、単なるビジュアル表現以上の意味を持つのです。

 量子芸術はアートのあり方を変えるだけでなく、社会におけるテクノロジーの理解にも影響を与えます。量子コンピュータは、暗号技術を無効化する可能性を持ちつつ、新たな創造や最適化のツールにもなり得る多義的な存在です。だからこそ、私たちはその技術が持つ複数の意味と影響を丁寧に理解していく必要があるのです。そして、アートはその「複雑さ」をそのまま提示し、問いを投げかける手段になり得るとロレンツ氏は語ります。

 対話の終盤、青木氏が紹介したのが、日本語の「道具(どうぐ)」という語の語源です。そこには「道(みち)=倫理」と「具=手段」が含まれています。つまり、技術とはただのツールではなく、それをどう使い、どのような社会を目指すかという“道”が常に問われているということです。量子コンピュータが、これからの社会においてどのような「道具」になるか──その可能性とリスクを見つめながら、倫理と創造の両面から考える必要があるのです。

 量子芸術は、そうした「未来の道具」との向き合い方を、私たちに問い直す場でもあります。科学が前進し続ける今、アートはどこまでその歩みに伴走できるのか。あるいは、その先を見据えた想像力を投げかけられるのか。量子のゆらぎを捉えようとするこの表現ジャンルは、技術と人間のあいだに新たな「感覚の橋」を架けようとしているのかもしれません。(文/森 旭彦)

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ティナ・ロレンツ|Tina Lorenz

ZKM 芸術的研究開発部門「Hertzlab」統括責任者

オーバープファルツ州立劇場のドラマトゥルク、ニュルンベルク州立劇場のデジタルコミュニケーションコンサルタントなどを経て、2020年アウクスブルク州立劇場にデジタルシアター部門を創設。2024年からはメディアアートの世界的研究機関ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディアセンター)の「Hertzlab」を率いる。

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青木竜太|Ryuta Aoki

芸術監督、社会彫刻家

芸術と科学技術の中間領域で作品制作をしながら、研究開発や展覧会などの企画・設計・指揮を行う。主な展示に「北九州未来創造芸術祭」、「千の葉の芸術祭」、「DESIGNART」がある。「生態系へのジャックイン展」では芸術監督として活動。第25回文化庁メディア芸術祭でアート部門ソーシャル・インパクト賞を日本人グループとして初受賞。 https://www.instagram.com/ryuta_aoki_/ `

量子芸術祭 Quantum Art Festival​

主催:量子芸術祭実行委員会 

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