column
生活に観る量子
カメラと同じような仕組みの宝箱
「ガシャ」……と音を立てたその一瞬、差し込んだ光を捉えて、観たままの状態を残しておく、というのがカメラの基本原理である。なかでもフイルムカメラはカメラ内のフイルムにわずかに光を当て、化学反応により写した状態を残す。その情報は薬剤を用いた現像などの工程を経て、引き出すことができる。フイルムを収めたパトローネはさながら宝箱であり、開ける人、つまり現像者によっては開けることで宝をふいにしてしまう恐れがある。
量子コンピュータの話を聞くようになったのは、ほんの数年前で、現在のコンピュータでは計算量が多くて解けないような計算を実行可能な、いわば究極のコンピュータというイメージを持った。しかし、どうもそうではないらしい。細かな技術はさておき、量子を操作した上で、観測することで計算結果が得られるという。その過程でエラーがあると答えが得られない、ということが技術的な課題であるそうだ。どうやらカメラと同じような仕組みで、皆が宝箱の中から宝を取り出そうと腐心しているのだそうだ。
これまでの歴史を振り返ると、この技術的課題はいずれ解決されるのだろう。その頃にどんな宝を取り出したいのか、まずはそれを展望してみようと将来の人間の生活を支える都市のあり方を考えてみた。
山口 尭史
日立総合計画研究所 研究第三部 産業グループ
音楽って量子じゃん
最近“量子”という言葉が流行っている。量子って何だろうと調べると、「量子とは、“粒”のような性質と“波”のような性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位」と書いてある。物質(モノ)をカタチづくっている原子や、原子をカタチづくっている電子や陽子も量子というわけである。「粒であり、波でもある」といわれても、普通に生活している我々には量子というのがピンとこない。モヤモヤと考えながら、自宅のソファーで大好きなチェリストの曲を、目を閉じて聴いていた。その時、頭の中に音符が出てきて、それが水面に落ちて波になったイメージが現れた。
これだと思った。「音符が粒で、奏でられた音が波」なのである。確かに譜読みをすると頭の中では曲が奏でられている。「音楽って量子じゃん」と思わず微笑んだ。
岡山 将也
日立コンサルティング スマート社会基盤コンサルティング第2本部
希望の光の色をつくる
発光ダイオード(LED)でも利用されているように、量子は身近に存在する。
LEDは、白熱電球のように熱による発光ではなく、半導体中の量子である電子と正孔の再結合という異なる仕組みで光を出す。量子力学により說明されるように、電子と正孔の持つエネルギーには隔たりがある。電子が電気的な欠損である正孔を埋めるときに、その隔たりの分のエネルギーを失い、光として放出されるのだ。
エネルギーの隔たりは、半導体の材料によって決まり、光の色に対応する。量子力学は、希望の光の色をつくるには、どんな半導体が適しているか示してくれるが、その実現の難しさは教えてくれない。2014年のノーベル物理賞が青色LEDだったのは記憶に新しい。小さな半導体素子も無休の努力の積み重ねがその実現に結びついている。
溝口 来成
東京工業大学 工学院 電気電子系 研究員
量子論の説く奇妙な実在
科学の進展は、時として我々の世界像を根本から覆す。時空の概念は相対性理論の登場で、実在の概念は量子論によって、全く異なるものになった。
相対性理論によれば、時間の流れは一定ではなく、重力によって「時空間」が歪むという。普段それを認識できる機会は少ない。しかし我々が、上空2万kmの衛星群の発するGPS信号の時間差から、現在位置を知ろうとするとき、この歪みは無視できないものとなる。衛星軌道では重力が弱く、時間の進みが速いのだ。形而上学的にも思われる相対論の時空間の歪みは、このようにGPS技術の一部として、ある意味で現代生活に溶け込んでいる。
量子論はどうか。量子論では、我々の直観である局所実在論が「量子もつれ」の存在により否定される。実はこれを利用した全く新しいコンピュータが、現在さかんに研究されている。この技術が社会実装されたとき、量子論の説く奇妙な実在は、我々の生活の一部となるのかもしれない。
米田 淳
東京工業大学 超スマート社会卓越教育院 特任准教授
またあのかつ丼が食べたい
量子コンピュータをつくるために、たったひとつの電子を電磁場でつくる微小な壁によって閉じ込める必要がある。うまく電子を閉じ込められずにいた私は、東急電鉄大岡山駅近くの歴史あるとんかつ屋「あたりや」のお座敷で途方に暮れていた。食べていたかつ丼は、ふっくらとした半熟卵でサクサクのかつが閉じられた絶品だ。まるで卵の布団で眠っているようなかつを眺めていたその時、かつが目を覚まして話しかけてきた。
「困っているのか兄ちゃん。電子の気持ちになってみい。ふかふかのお布団があれば誰でも飛び込みたいもんや」。
そうか、私は実験室に戻り、電子が飛び込みたくなるような極上の電圧条件に設定した。得られた測定データは、電子ひとつが無事に閉じ込められていることを示した。学生時代から16年間通った「あたりや」は、2022年7月25日に60年の歴史に幕を閉じた。店主もおかみさんもとても優しく、居心地の良かったあのお座敷は、私にとって極上の電圧条件だった。またあのかつ丼が食べたくなってきた。
宇津木 健
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ
子どものボールと家の壁
「生活の中で身近なものを量子コンピュータに関連させてコラムを書いてほしい」と言われたとき正直困惑した。実験を通じて量子現象を見る経験のない私にとって量子力学は、小説と同じで、教科書に書いてある物語だからだ。普段私たちが知覚できる物理法則は古典物理と言われる。この法則に従えば、壁にボールをぶつければ反射して帰ってくる。これが物の理(もののことわり)だ。
しかし、量子力学は違う。量子力学は、壁にボールをぶつけたとき運が良ければ帰ってくるが、運が悪ければ壁を通り抜けてどこかに行ってしまう、と主張している。あるいはボールそのものがどこかに消えてしまうかもしれない。このような曖昧な法則に支配された世界では生活できないと思う。
一方で、ボールが壁をすり抜け、ボールが消えてしまう世界があったら楽しいだろうなとも思う。量子力学に関わる仕事ができることにワクワクしている。
田中 咲
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ
自然に恩返し
量子コンピュータは、量子力学の現象を巧みに利用して計算を行うコンピュータだ。量子力学というやつは我々の目には見えない非常に小さなミクロの世界で起こっていて、イメージするのが難しい。何ともやっかいだ。
でも、生物や宇宙のようなあらゆる自然現象は、実は量子力学によって説明できる。量子コンピュータは、自然現象を理解するのに役立つコンピュータなのだ。自然界では、植物は太陽のエネルギーを利用して二酸化炭素から酸素を効率良くつくり出してくれる。エコだ。でもなぜ効率良く酸素をつくり出せるのかは、まだよくわかっていない。量子コンピュータを使えば、このメカニズムを解明し地球規模レベルの問題を解決できるかもしれない。
コンピュータは、我々の生活を豊かにしてくれたが、少なからず自然環境には負荷をかけてきてしまった。量子コンピュータの力を使って自然に恩返しできればと思う。
土屋 龍太
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ
写真の中にいる自分たち
写真の中にいる自分には、不思議な力が宿っている。それは特定の写真にいる自分ではなく、すべての写真の中にいる自分たちだ。その不思議な力は、その頃の出来事や風景、喜びや悩みなど、さまざまな情報を私の頭に巡らせ、見ている時間を忘れさせてしまう。しかも、(私だけかもしれないが)それらの写真を見終わった後に、自分が少し変化したような感覚になる。写真の中にいる自分が持つ、引き付けて自分を変化させる、この不思議な力は何者なのか?
そして、ある日、量子の研究に触れた。
量子のことは、ちっとも理解ができていないけれど、これまで不思議に感じていた写真の中にいる自分たちが持つこの力を、理解するヒントに触れた気がする。さらに、この不思議な力に触れる機会が、毎日の生活にあることも教えてくれた。それは、朝起きて顔を洗うとき、電車の窓を見たときなどに共通する、“自分の姿をあるモノを通して見つめる”ときだ。
ナルキッソスがとらわれた危険な力かもしれない、正体不明な不思議な力。ただ、自分に向き合わせるこの不思議な力が、私を変化させてきたことは確信が持てる。
白澤 貴司
日立製作所 研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部
社会イノベーション協創センタ