宇宙最小クラスの、不思議な計算道具「スピン量子ビット」
溝口 来成
国立大学法人 東京工業大学
地球ゴマは物体の自転運動の効果を使ったおもちゃです。
自然が持つ性質を道具にする。私たちの日常はその繰り返しでできています。
量子コンピュータも、実はそうなのです。
量子コンピュータをつくるには、電子の「スピン」を利用できます(スピン量子ビット)。
スピンとは、電子が持つ自転のような特性です。ただしこの自転のようなものは極小の世界の出来事で、
一般的な世界とはまったく異なる原理が働いているのです。
©︎ Ogawa Yutaro
「量子ビット」の不思議な性質
量子論の基本として、原子や電子など、ミクロの物質は「同時に複数の状態になる」ことができるという特徴を持つとされています。これを「重ね合わせ」と呼びます。信じられないかもしれませんが、量子論では、例えばあなたは「あなたであって、あなたではない状態」になることが許されてしまうのです。この不思議な特徴「量子ビット」を計算に生かしたものが量子コンピュータなのです。日立製作所が開発するシリコン量子コンピュータは、この量子ビットを半導体技術で作製するものです。私は、その高性能化、大規模化を支える、量子ビットの質と量を向上させるための研究を進めています。
ビットとは、コンピュータの計算における情報量の最小単位のことです。現在のスマートフォンなどに使われている従来のコンピュータは、あらゆるものを「0か1」のどちらかで表すことを最小単位として処理しています。量子コンピュータもビットによって処理をする点では従来のコンピュータと同様ですが、量子ビットの場合は「0と1」を同時に表す(重ね合わせ)ことで処理することができます。言葉にするとたいした違いがないように思えますが、「0か1」と「0と1」では、行える計算の数は、文字通り桁違いに異なります。
量子コンピュータが実現すれば、これまでのコンピュータでは解くことができなかった問題(※)が一瞬で処理されてしまうと考えられており、現在世界各国の研究機関や企業が開発を急いでいます。
量子ビットの方式(※)として、私たちは電子の「スピン」を用いる「スピン量子ビット方式」を採用・研究しています。スピンとは、電子が特性として持つ自転のようなものです。この方式では、「量子ドット」という、シリコンなどによる特殊なミクロ構造の中に電子をひとつ入れ、スピンが上向きの場合を「1」とし、スピンが下向きの場合を「0」とし、量子ビットとして機能させます。スピンの反転制御は、微小電極による電磁波で行います。
ボトルネックは、極低温の動作温度
量子コンピュータの実現には量子ビットの性能(質)、そして大規模化(量)を実現するための技術開発が欠かせません。
量子ビットは、量子コンピュータに求められる性能を満たすことが求められます。つまりこちらが意図したとおりにスピンをコントロールできる必要があります。しかし量子ビットには、上向き(1)だったはずのスピンが、意図せず下向き(0)に反転してしまうというエラーが起きます(スピンの緩和)。こうしたエラーは、量子コンピュータの性能を低下させてしまいます。
そこで量子ビットの性能を安定させようとするわけですが、そのためには極低温のマイナス273度近く(絶対零度付近)に冷却する必要があるのです。しかし極低温下において量子ビットは安定するのですが、反転制御をする微小電極を含む制御回路側が動作しづらくなってしまいます。これではコンピュータとして大規模化し、複雑な計算をすることが困難になります。
現在はいかにして動作温度を上げながら、量子ビットの性能を安定化させることができるかを研究しています。量子ビットといっしょに動作できる制御回路ができれば、量子コンピュータの高性能化・大規模化を実現する一歩になります。次の時代をつくる「量子ビットの設計」に、今日も夢中で取り組んでいます。
溝口 来成
東京工業大学 工学院 電気電子系 研究員
2018年フランスのグルノーブル・アルプ大学修了、博士号(ナノ物理学)取得。2021年東京工業大学修了、博士号(工学)取得。2019年より現職。現在の研究テーマは「量子ドット中のスピン読み出し技術の開拓」「ゲルマニウム量子デバイスの開発」。
小川雄太郎
メインビジュアル イラストレーション
イラストレーター。多摩美術大学大学院グラフィックデザイン研究領域修了。
ウェブ、広告、雑誌、映像などのイラストレーションを手がける。
主な仕事にWIRED、リンネル、NHK Eテレ、PARCO、キットカットなど。
主な受賞にNY ADC Merit、グッドデザイン賞など。
ギンザWEBにて動く漫画「トップスドッグズ」連載中。